Report活動レポート
夢の海外協力活動の第一歩!
大木日菜子
高崎健康福祉大学(薬学部3年)
- 留学期間:
- 2023年3月2日~2023年4月4日
- 留学先:
- フィジー(South Pacific Free Bird)
“BULA!”
This is a country full of friendly and hospitality despites its inconvenience.
私は、小学生の頃から青年海外協力隊としてボランティア活動をする目標があり、国際協力に携わりたいと考えていました。そのため、発展途上国のフィジーで留学することで語学力の向上、異文化理解、課題解決能力を高めようと決めました。そのため、語学学校に通い、学校内の寮で生活をしていました。この留学で得られた経験と学びは三つあります。
フィジーでの生活、不便さから学んだこと
一つ目は、不衛生、不便さの中にも幸せがあるということです。フィジーでは、停電や断水、雨漏りが頻繁に発生します。私の留学中にも3回以上起こり、電気や水を使える有難さを学びました。
このような不自由さの一方、「ケレケレ」という、物を共有する文化があり、助け合いの大切さを学びました。友人のホストファミリーの家に行く途中、迷子になると、地元のおじさんが一緒に歩いて案内してくださったり、マーケットでの買い物をした後、荷物が多くて困っていると、世間話で知り合いになった女性がビニール袋を渡してくださりました。
寮の冷蔵庫には、共有できる食材に「ケレケレ」と記載してあります。もう一方で、自分のものに名前を書いていても寮のママに食べられてしまうことがあり、フィジーの文化とはいえ悩むこともありましたが、今では、助け合い、共有することで自分の必要性を実感することができ、フィジアンの幸福に繋がっていると考えています。
また、ベッドバグというダニ類に噛まれたのが辛かったことです。一週間以上、強烈な痒みに眠れず、病気になるのではないかと常に不安がありました。今ではすっかり治り、ぐっすりと眠れる喜びを噛み締めています。
道端には、皮膚病や狂犬病を持つストリートドッグが多く存在します。飢えていて痩せている犬が多く、倒れてほとんど動かない犬もいました。一度、朝一人で歩いている時に、野犬4匹に囲まれ命の危険を感じたことがありました。近くに落ちていたペットボトル3本を投げ、大声で威嚇すると、さすがに離れていきました。
友人のなかには、野犬に噛みつかれ病院行きとなった子もいたようです。このような経験はできればしたくはありませんが、生きているだけで有難いと強く思いました。「生きていれば何でもできる!」と思った瞬間でした。
多国籍・多年層の人との交流
二つ目は、多国籍・多年層の人と交流できたことです。
地元のフィジアンは勿論、インディアンやフィジーに住む中国の人、育児を終えた50代のママさん、薬剤師の30代のお姉さん、コロナによる授業のオンライン化を機に大学を中退した筋肉マンの同世代。様々な立場、目的も出身も言語も異なる人と出会い、異なる生き方を学びました。
私が語学学校のレベルアップテストに合格し、別のキャンパスでハイレベルな環境に移るか、同じレベルで今の環境に留まるか迷っていた時のことです。友人の一人が「経験だよ」と言ってくれたのが契機となりました。
今の環境であれば3週間共にした仲間と一緒にいれますが、新しい環境なら1週間だけ高いレベルを経験できます。私は、友達に関してはSNSでいつでも連絡できると納得し、新しいキャンパスへの移動を決心しました。
自分より高いレベルに身を置くことで、語学へのモチベーションも上がり、経験こそ人生だと実感しました。友人とは今でも連絡を取り合い、日本で会う約束をしています。
また、一緒に語学学校に通った仲間でも、勉強が一番の目的ではない人もいました。フィジーは環境的、衛生的に不自由な場合が多く、生きていくだけで大変な場所です。共通して、みんな毎日を必死に生きていました。私自身も「自分、生きているな」と、毎日思えるほど充実していました。
洗濯は全て手動、水は街で買わなければならない、野犬や人への注意、次の日のプレゼンテーションやディベートの準備など、平均的な生活水準や衛生基準を上げることができれば教育の機会が生まれ、国が発展するだろうと思いました。
例えば、ベーシックインカムのようなシステムです。一方、これまで時間がないと言い訳していた自分に対して反省しました。日本では洗濯機や食洗器、掃除ロボットなど自動化が可能な選択肢があるため、上手く役立て自分の時間を作ろうと思いました。
自分ではどうにもならない場面に直面した時
三つ目は、話で聞くことと実際のギャップです。レストランでは、メニューにあっても注文できない料理が非常に多く、自分の希望に合わないことが多々ありました。また、バスや教会のお祈りは時間通りに進むことは稀で、フィジータイムで物事も人も進行します。
現地の人は、「It’s okay!」と言って、今という瞬間を充実させているようでした。この姿勢は見習うべきだと感嘆しました。
この他にも、自分がやろうと意気込んでいた孤児院「Tresure House Children’s Home」と動物保護施設でのボランティアができなかったことには愕然としました。渡航前の確認ではできると聞いていましたが、学校長に相談すると衛生的に危ないからとストップされました。
代わりにできたのは、現地の人を巻き込んでゴミ拾いボランティアです。学校終わりの子供たちが「BULA!」と決まって挨拶してくれ、最初は物珍しそうに見ているだけでしたが、一緒にゴミ拾いをしたのは良い経験でした。
また、ホームステイの友人の家を訪ね、ホストファミリーに折り紙と駒回し、「だるまさんが転んだ」を教えながら交流しました。フィジーの家庭料理を頂き、日本の遊びにも興味を持ってもらい、言語は違っていても距離が縮まりました。たった一度の交流でも、自分の帰国する日に家族総出で見送りに来て頂いて感動したのを覚えています。
自分ではどうにもならない場面に直面し、葛藤もしましたが、どの状況になってもその瞬間を楽しもうと思いました。そして、自分次第でどうにでもできることには絶対に全力を尽くそうと決めました。
留学で得たことを、海外協力活動に役立たせたい
このような経験を経て、自分自身強くなったなと成長を感じました。また、ボランティアをするには、まずその土地の生活に慣れ、自分の身を自分で守ることが必要最低限だと実感しました。
今の自分には何も資格はなく、人に専門的なことを教えることはできないので、今は残りの学内のESSの活動と勉強に全力で取り組もうと思います。そして、この留学で得た語学力と異文化理解、課題解決能力をさらに向上させ、将来の海外協力活動に役立たせたいです。
それから、近年増加している日本の外国人労働者等、在住外国人にも目を向け、コミュニケーション力のある、必要とされる薬剤師になりたいと考えています。自分一人のバイト代では留学できなかったので、このような機会を頂き、感謝しかありません。本当にありがとうございました。